11月3日(日)「ゼロ年代(プラスワン)とドキュメンタリー:文学/記録/映画」ほか最近の仕事


渡邉大輔です。
先ほど、日本マスコミ学会のワークショップ@上智大学が終了しました。
28日(月)は渋谷ヒカリエでCINEASTE3.0と容赦なくイベントが続きます。

連休のイベント出演の告知です。
11月3日(日)に、下北沢B&Bにて、先日刊行された『neoneo03』の刊行を記念して、『neoneo』編集主幹で批評家の萩野亮さんと、『砂漠』同人で文芸批評家の中里勇太さんと、トークイベントに出演させていただきます。
以下で予約だそうです。⇒渡邉大輔×中里勇太×萩野亮『neoneo』 meets04「ゼロ/代(プラスワン)とドキュメンタリー:文学/記録/映画」 | 本屋 B&B
以下が概要。

「9.11」が90年代を終わらせるとともにそれを意味づけたとするならば、「3.11」は《ゼロ年代》の意味を真に跡づけたのかもしれません。
ふたつの日づけ、ふたつの災いにはさまれた「2000年代」とは、いかなる時代だったのでしょうか? 

ゼロ年代》に「2010」をプラスすること。
いま、わたしたちはそうしてようやく《ゼロ年代》を正面から検討しうる場所に立っています。
それは渦中にある《テン年代》をサバイブするすべを計測するこころみでもあるに違いありません。

『イメージの進行形』(人文書院、2012)において「映像圏」なる概念を提起し、フィルムノワールからニコニコ動画までを俎上に載せて批評の新時代を拓いた渡邉大輔氏と、「neoneo web」誌上の連載「記録文学論」で「文学の記録性」を大胆に読み抜いてきた中里勇太氏。

現代文化のひとつのモードとして「ドキュメンタリー」をとらえ返し、独自の批評活動を展開する萩野亮氏が、ふたりの批評の旗手を迎えます。

ゼロ年代》を「ドキュメンタリズム」の台頭した10年期として位置づけながら、文学と映画とを縦横に語る一夜。
ご期待ください。

あと、原稿ですが、来週の『週刊金曜日』の書評では、渡辺京二氏の『近代の呪い』の書評を書いています。

そして、11月4日(月)の文学フリマには、2媒体で参加しています。

一つは、僕も講師のひとりとして参加した佐々木敦さん主宰の批評家養成ギブス@映画美学校の有志たちが集まった同人誌『スピラレ』に、未発表の2005年に書いた佐藤友哉論を特別寄稿。
あと、ゼロ年代以降の文学について語ったインタビューが掲載されています。
・インタビュー「ゼロ年代・文学・ソーシャル化――映画から遠く離れて」(同人誌『スピラレ』)

あと、毎度恒例の限界研で、『ポストヒューマニティーズ』についての「あとがき」的な短いエッセイを寄稿しています。

文学フリマにも顔を出そうと思っています。
ぜひチェックしてみてください。