連載「イメージの進行形」第4回@Wasebun on Web&第11回本格ミステリ大賞選評@『ジャーロ』


渡邉大輔です。
すでにツイッターのほうでは告知をしたのですが、早稲田文学ウェブサイトの連載評論「イメージの進行形」の第4回が公開されました。

・連載「イメージの進行形/第4回 からだが/で観る映像史」(Wasebun on Web)⇒早稲田文学編集室 - WB/早稲田文学

以下は、編集部の紹介文。

渡邉大輔〈イメージの進行形〉第4回「からだが/で観る映像史」を公開!
 前回、19世紀末から20世紀初頭につくられた初期映画という、現在の映画からすると異質な、しかし魅力的な映像群を見てきました。活弁や館内の仕掛け、観客同士の歓声といった、現代では「邪道」「子ども向け」とすら見なされる、フィルム以外の要素があわさって成り立つ映画でした。
 そうした初期映画、さらに現代の映像文化を考えるのに重要なのが、さまざまな刺激を受容する観客の身体。
 そこで今回は、観客の身体から、またはキャラクターの身体から考える映像史を展開します。
 作品の内と外をシームレスにつなぐ『劇場版 神聖かまってちゃん』(入江悠監督)の特異な身体(前篇)、映画が理想化する身体のありかた、映画黎明期のトンデモな(性)医学、さらにはアダルトビデオの歴史まで(後篇)、今回も盛りだくさんでお届けします!

…という感じです。
基本的には、第3回の話題の続きをやっていますが、今回は、よくも悪くも「読み物」的な興趣が強い原稿になっているので、いつもよりも軽い感じで読んでいただけるのではと思っております。とはいえ、70枚近い分量になってしまい、ついに前後篇で公開、というかたちになってしまいましたw 煩雑になってしまって、そこは申し訳ないと思っています。ただ、僕もあと数回で連載のいちおうの決着をつけなければならないので、なかなか大変。でも、今回の原稿同様、最後まで攻めの姿勢でラディカルかつアクチュアルかつおバカなスタンスで行こうと思っているのでよろしくお願いします。
次回は、おそらく一転して、久々にもっと具体的なテクストに寄り添った原稿になるでしょう。

そう、先日(12日)の文学フリマで発行された筑波批評社*1さんの同人批評誌『筑波批評2011年春号』に、主宰者でもあるシノハラユウキさんが「キャラクターは呟きて何を生すか――フィクション論から見るtwitter」という論文を寄せていて、そのなかで、僕の連載第2回のtwitter論を参照してくださっています。⇒筑波批評社
シノハラさんの論文は、twitterの「なりきりアカウント」(「リアル東のエデン」など)をフィクション論の観点から捉えなおすという野心的な試み。まだ粗いエッセイにとどまっているとは思いますが、センスの行き届いた道具立てで地道に論証を重ねていく手際は見事。
僕はてっきりあのtwitter論は評判悪いと思っていたのだけど、こうやって有機的に論点を拡張してくださる論考が現れるのは書き手としても大変喜ばしいものです。
今週からは、電子書籍版も販売が開始されたそうなので、僕の映像圏をめぐる議論に関心のあるかたは、ぜひチェックしてみてください!

そして、もうひとつ小さな仕事。
第11回本格ミステリ大賞の選評を最新号の『ジャーロ』に寄せています。

・「第11回「本格ミステリ大賞」選評」(『ジャーロ』no.42、光文社)

読み返すと、ちょっと厳しいニュアンスになってしまったかもしれませんがw、真剣に選考した結果ですので悪しからず。

最後に、最新の連載原稿から関連する動画をいくつか。

関係ないけど、少女時代のmr.taxiも。


*1:08年に「東浩紀ゼロアカ道場」に道場破り組として参戦したサークルとして知られています。そのときの同人誌には、僕も寄稿させていただきました!