研究発表@日本映像学会全国大会


渡邉大輔です。
原稿仕事の告知ではないのですが、この週末、土・日と北海道大学で開催された日本映像学会第37回全国大会に映画史研究者として参加してきました。おととし、昨年に続き、研究発表もやってきました。
・研究発表「サイレント期の日本映画における児童=子役の表象――イメージと言説の比較から」(日本映像学会第37回全国大会、於・北海道大学

ついでに、恥ずかしながら発表概要も貼っておきます。僕が研究者としてどんなことをやっているか、参考までに…。

黎明期の映画を取り巻く諸状況の中で、「子供」という存在の占める位置が非常に大きなものを占めていたことは、しばしば指摘される通りである。とりわけ日本映画においては、その傾向が著しかったのではないだろうか。例えば、日本の初期映画をめぐるさまざまな史料の数々は、1910年代の映画館の主要な観客層が紛れもなく子供の映画観客であったことを示しているし、また、アーロン・ジェローなどの初期日本映画の受容環境をめぐる先行研究は、そうした子供観客の動向が日本の映画の制度的・言説的な組織化に大きな影響を及ぼしたことを説得的に検証している。
 とはいえ、そうした子供の観客によって多く観られていたと思われる草創期の映画作品の表象にも、児童を主人公や登場人物に仕立てたフィルム、いわゆる「子役」を用いた作品が早くから登場し、観客たちの人気を集めていた。そして、これらの子役たちは、明治末期から大正初期にかけて日本でも成立し始めた俳優のスターダムの中の一要素としてスターとしての表象をも纏い出し、同時期から日本にも現れ始めた映画雑誌などの出版媒体にもそのイメージを登場させることにもなる。また、そうした記事には、彼ら/彼女ら多くは海外の子役スターに関する批評言説も付随し、1910年代には、映画における子供=子役に対する表象や言説の輪郭が整えられていった。
 こうした子役スターの表象は、1920年代に入り、チャップリンの『キッド』(1921年)に出演し、一躍スターダムとなったジャッキー・クーガンや、いわゆるアメリカ製の「児童喜劇Boys comedy」(山本喜久男)の台頭によって、子役スターの黄金時代を迎えるとともにさらに高揚していく。とりわけクーガンの日本での人気ぶりは凄まじいものがあり、「和製クーガン」と称される数多くの子役スターの登場をもたらした他、日本の子役スターの表象のあり方にも眼に見える形で、決定的な影響を与えていく。こうした結果、例えば、大正末に相次いで刊行される映画年鑑などのグラビア記事には、それ以前の大人の俳優・女優ばかりだったスターグラビアに較べると、飛躍的に、東西の人気子役スターの写真で埋め尽くされるようになった。おそらく、こうした大正期(1920年代)の子供を映画の中心に据えた映画やその言説の台頭と人気ぶりは、同時期の「童心主義」と呼ばれたリベラルな文化風土とも関連しているのだろう。事実、先述した1920年代の「児童喜劇」、あるいはそれに影響を受けたとされる日本の児童向け教育映画などでは、「自律」した子供の姿が積極的に描かれるようになったといえる。
 本発表では、以上のような黎明期からおよそ1920年代までのサイレント期の日本映画における、子供=子役を中心に据えた映画の系譜に注目し、そこで生まれた子供=子役それ自身の表象と、それに関する(批評)言説双方によって描かれた特徴を相互に照応させながら辿ることで描き出してみたい。というのも、特に1910年代以前の日本映画はそのほとんどが現存しておらず、具体的なフィルムを素材に初期日本映画の児童=子役の表象を検討することがきわめて難しいからでもあり、本発表のような、現在残されている雑誌記事やスチールなどからの検討は、間接的ながらも、初期のフィルムの児童=子役の表象がどのようなものだったのかを跡づけることにもなるだろう。
 いずれにせよ、日本映画における児童=子役とは、その初期から、一方で、「大人」の俳優の表象と差異づけられ、また、他方で、「海外」の児童=子役スターとの表象とも差異づけられることによって言説化されたきわめて複雑な言説的磁場のもとで生み出される存在であったといえる。すなわち、日本映画の「子供」とは、「大人」と比較して「無垢」で「純粋」な存在であるとともに、海外の子役スターは、その魅力の中に、日本のオリエンタルな自意識を刺激する微妙な距離感覚も巧みに織り込まれていた。そこに、日本映画における児童=子役スターの表象の特異性があったといえるだろう。そして、そうしたさまざまな「他者」との関係性の中から、「子供だけの世界」の中で自律的に表象される児童の姿が現われてくる。本発表では、そうした過程を、一連の資料を参照しながら、可能な限り現存する一部のフィルムを比較分析することも加えて、概観的に検討したい。

日本映像学会は、映画を中心に、写真・テレビ・メディアアートなど、映画・映像メディア研究の分野では、国内最大規模を誇る学会で、会員数は900人近くに及ぶ大所帯の学会です(本部は僕の勤め先の日本大学藝術学部にあります)。毎年1回、全国大会が開かれ、研究発表や作品上映、講演やシンポジウムなどが催され、全国各地の映像アカデミズムの研究者の活発な交流の場となっているわけです。僕もここ数年、毎年のように参加しています。
今年は、「イメージの虚実」を全体テーマとして、基調講演に、映画監督・作家の青山真治氏と映画評論家の上野昂志氏を招き、シンポジウムは両氏を含む脚本家の荒井晴彦氏や映画研究者の藤井仁子氏らで行われました。「イメージの虚実」、といえば、なんとも僕好みのテーマ(笑)。実際、上野氏の講演では、今村昌平の『人間蒸発』をもとに擬似ドキュメンタリーについて語られましたが、僕からするとありふれた内容で、どこか物足りなかったのが正直なところ。青山監督も、批評家デビューしたての頃に、『Quick Japan』の取材で青山監督と大友良英さん、樋口泰人さんの鼎談のテープ起こしのお手伝いをしたことがあり、その時に「駆け出し」ライターとしてお会いしたことがありますが、相変わらずの「傍若無人」ぶりを壇上でも発揮していました。とはいえ、現代におけるフィルムとフィルムレス(ディジタル)の問題についての興味深い議論が展開され、とても面白かった。また、僕の隣で映像作家のかわなかのぶひろ氏が聴いていました。
その後は懇親会があり、今年の初春に早稲田の映画学研究会の機関誌『映画学』に寄稿させていただいてから、ようやく編集主幹の木原圭翔さんや鈴木啓文さん(鈴木さんは久しぶりでしたが)らにご挨拶できてよかったです。鈴木さんとは、ご専門のドゥルーズジャン・ルイ・シュフェール、クリスチャン・メッツ、スティーヴン・シャヴィーロなどについて僕の知らないような話をいろいろ伺えて大変勉強になりました。東北大の成田雄太さんなど、同世代の映画研究者との対話は本当に刺激になります。懇親会のあとは札幌市内の飲み屋で岩本憲児先生たちと二次会。催眠術と占いの話に花が咲く、という謎の展開に。
で、日曜日の今日の午後、自分の発表をやってきたわけですが、僕のセクションの司会を担当されていたのが、記念碑的大著『増殖するペルソナ』で知られる名古屋大学の藤木秀朗先生だったので緊張しまくりでしたが、終了後は、波多野哲朗先生や草原真知子先生に貴重なコメントを戴き、大変ありがたかったです。他の方の発表も時間の都合もあり、あまり聴けませんでしたが、山本佐恵先生や上田学さんの発表はめちゃくちゃ面白かったです。勉強になりました。
とりあえず学会は終わりましたが、早稲田のGCOEと演劇博物館の演劇映像学連携研究拠点のテーマ研究プロジェクトはこれから本格的に取りかからなくてはならないので、気合いを入れ直すつもり。とはいえ、『ユリイカ』も発売されたばかりですが、もちろん、批評仕事も引き続き頑張ります。
そして、明日はさっそくまた大学の授業。中だるみの時期か、早くも学生が休みがちになっているのだけど、出欠やレポート試験はガチで採点するので、そのつもりでいてくださいね(笑)