日本の映画教育運動についての論文@『映画学』


渡邉です。
今日は、2年前から参加していた早稲田大学演劇博物館が拠点となっている日本映画史研究のプロジェクトの最終成果報告会の発表でした。僕の研究を含めたこのプロジェクトの成果は、今秋刊行の論文集にまとめられる予定です。すごい濃密な日本映画史研究書になるのは確実ですので、映画ファンはお楽しみに!
昨日は、来月末からスタートする美術展floating viewのための写真撮影と座談会収録。
ともに疲れましたが、なんとか乗り切り、怒涛の1月が終わろうとしています。まぁ、2月以降も怒涛のスケジュールが待っていますが…。

それはさておき、またまた新原稿の告知です。
今月は、ワセブン連載、河出の『ゼロ年代プラスの映画』、『ユリイカ』SN特集と、久々の原稿ラッシュでしたが、今度は一転して、70枚ほどの学術的な研究論文です。

・論考「形成期映画教育運動の実践と言説の一側面――児童観客の動向を中心に」(『映画学』第24号、早稲田大学映画学研究会)http://www.eigagaku.com/eigagaku24.html

『映画学』は、早稲田大学大学院文学研究科演劇映像学コースの映画研究者有志のみなさんが中心となって毎年発行されている伝統ある映画研究の学術誌です。日本国内の映画関係の学術誌では、何と言っても、日本映像学会の発行する『映像学』が有名ですが、『映画学』はそれに勝るとも劣らない、ハイクオリティな学術論文や書評、インタビューが多数掲載される雑誌です。
僕も博士論文などでガンガン参考文献に参照したりしていますが、今回、生え抜きの若手無声映画研究者であり、話題の叢書『日本映画は生きている』(岩波書店)にも純映画劇運動をめぐる論文を寄稿されている小川佐和子さんのお誘いで、論文を寄稿させていただけることになりました。小川さんと、編集長の木原圭翔さんには、僕の拙い論文を掲載していただき、深く感謝しております。
ざっくり要約すれば、僕の論文は、題名通り、日本映画史における教育映画(教育を目的とした映画フィルム)、あるいはそれを用いた児童などに対する教育活動を意味する「映画教育」の歴史を、日本映画の黎明期から、それが活性化する昭和初期の時期まで、実践的活動と言説史の双方から整理し直したものです。
映画教育運動の歴史に関しては、基礎文献である田中純一郎の『日本教育映画発達史』をはじめ、近年では岩本憲児先生の『幻燈の世紀』や吉田ちづゑ『「講堂映画会」の子どもたち』、あるいは大澤浄氏の論文など先行研究はいくつかありますが、僕の今回の論文は、その中でもわりと体系的・包括的な分析研究になりえたのではないか…と思っております。
とりあえず、批評系(映像圏系?)の仕事とは、また肌合いの違った長篇論文です。
おそらく書店などでは手に入らず、早稲田の映画学研究会に直接連絡するしかないと思うのですが、ご興味のある方はご高覧いただければと思います。おそらく、一般的には僕の仕事は批評系の論文しか知られていないので、ちょっと面白いかもしれません。というか、面白く読んでいただければいいのですが…(汗)。

ちなみに、以下に今回の『映画学』の目次を挙げておきます。

第24号(2010年)

[論文]
渡邉大輔  形成期映画教育運動の実践と言説の一側面――児童観客の動向を中心に
羽鳥隆英  《七人組》事件再考――トーキー移行期におけるスタジオ・システムについての覚書
鈴木啓文  「精神自動機械」としての映画/観客――ジル・ドゥルーズ『シネマ』における観客性についての試論
中井智浩  『東京暮色』

[研究ノート]
木原圭翔  イメージからの排除――スタンリー・カヴェル『観られた世界』における「自動性」概念について
谷口紀枝  新聞小説から演劇、そして映画へ――映画草創期におけるナラティブの変遷――
松原葵  『ユダヤ人ジュース』考

[書評]
木原圭翔  D. N. Rodowick. The Virtual Life of Film. Cambridge: Harvard UP, 2007.

どれも映画研究の先端を疾走する、ハードコアな論文ばかりです。僕もゆっくり拝読する予定です。