佐々木俊尚さんとの対談@『neoneo』ほか


渡邉大輔です。
Twitterではすでに告知していますが、現在、開催されている第12回山形国際ドキュメンタリー映画祭でも販売されている、ドキュメンタリーカルチャーマガジン『neoneo』第3号に、特集「ゼロ年代(プラスワン)とドキュメンタリー」の「特別対談」として、ジャーナリスト、作家の佐々木俊尚さんとの対談が掲載されています。
佐々木俊尚との対談「≪ゼロ年代≫とは何だったのか」(『neoneo03』、neoneo編集室)
neoneo webの該当ページ⇒【Magazine】「neoneo」#03 特集「〈ゼロ年代〉(プラスワン)とドキュメンタリー」 | neoneo web
以下が今号の目次。

<特集・巻頭言>

「まるで映画のようだ」

ワールドトレードセンターのツインタワーに2機の航空機が相次いで衝突する2001年9月11日の報道映像は、テレビを通じて人にそうつぶやかせた。

それからおよそ10年後、2011年3月11日に列島の東を襲った大地震と大津波の映像は、匿名の個人によって夥しくインターネット上にアップロードされ、世界中からアクセスされた。

ゼロ年代》と呼ばれた時代があったとするならば、それはこのふたつの危機をめぐる、あくまで異質な映像にはさまれた10年間をさししめすのではなかったか。「2010」という年号を「プラス」することで、時代はその輪郭をいっそうたしかなものとするだろう。

ドキュメンタリー映画がこの11年間にめざましい展開をきざし、その市場価値をたしかに高めたことは、そしておそらく偶然ではない。

「9.11」が《90年代》を終わらせるとともに、《90年代的なるもの》を真に浮かびあがらせたとするならば、《ゼロ年代》の11年間にとって、「3.11」という日付けはまさに同じ地点に位置づくにちがいない。

そう、いままさに《ゼロ年代的なるもの》が真に意味を帯びはじめている。

あらゆる社会環境のデジタル化を、いちじるしい質的また量的な変容のプロセスとしてうけとめたドキュメンタリーの世界的な台頭は、そしてそのひとつの大きな一里塚としてある。

その時代のドキュメンタリーをつぶさに見つめなおすことは、《ゼロ年代的なるもの》の輪郭をたしかにするとともに、渦中にある2010年代のいまを照らし出すことでもあるのだ。

<目次>

●photogravure
Instant Gamble  写真・文 藤元敬二

●Features(特集) 1
ゼロ年代(プラスワン)とドキュメンタリー
[特別対談]《ゼロ年代》とは何だったのか?  佐々木俊尚+渡邉大輔

イラストと10のアングルでふりかえるゼロ年代(プラスワン) 
2000年〜2010年の年表&ドキュメンタリー・シーン  

[アングル1] デジタルシネマ私論  加藤孝信
[アングル2] 「私」が発信する時代―-《ゼロ年代》のセルフドキュメンタリー考  佐藤寛朗
[アングル3] ドキュメンタリーは嘘をつく―― 森達也とその時代  萩野亮
[アングル4] こんなアメリカに誰がした? ――マイケル・ムーア・ブームとそのシニカルな果実  萩野亮
[アングル5] ネイチャー・ドキュメンタリー ――地球賛美のその背景にあるもの  萩野亮
[アングル6] 「クルー」と共に ——ビデオジャーナリズムとドキュメンタリー映画 綿井健陽
[アングル7] なぜ、ドキュメンタリー映画の劇場公開は定着していったのか  木下繁貴
[アングル8] 環境ドキュメンタリーはスクリーンを越えて  宇津留理子
[アングル9] 検閲・党派主義・炎上――『靖国 YASUKUNI』騒動再考  佐藤寛朗
[アングル10] 「プログラム・ドキュメンタリー」のための覚書  若木康輔

カタログと年表
ゼロ年代(プラスワン)のドキュメンタリー99[2000-2010]

●Features(小特集) 2
UNKNOWN MARKER  〜知られざるクリス・マルケルの世界〜

世界への旅と政治映画
クリス・マルケル小伝  吉田孝行
クリス・マルケルへのインタビュー(1968年)                       
赤きオオカミへの挽歌 『空気の底は赤い』論  金子遊
マルチ・メディアと戯れるように  越後谷卓司

写真/ヴィデオ/マルチ・メディア
クリス・マルケル――写真展
21世紀のクリス・マルケル――写真展という新しい試み  藤田修平
記憶のなかのリアル――『koumiko』を制作して  丸谷肇
ギョームを追いかけて――パテオラマからセカンドライフまで  碓井千鶴
ヴィデオアーティストとしてのクリス・マルケル  河合政之
ゴルゴマンシー、「見ること」への問いかけ  東志保

●regulars
ドキュメンタリー激烈辛口採点表  春田実
アニメーションとドキュメンタリーが交わるとき  土居伸彰

●編集後記

カバーイラスト:白尾可奈子


『neoneo』は2000年代初頭に発行されていたメールマガジン『neo』の後を受けて2012年にリニューアル創刊されたドキュメンタリー専門誌で、これまでに2号が発刊されていますが、いずれもアクチュアルな問題意識と繊細な編集、美しいデザインをまとったいまの日本でもっとも充実した「映画雑誌」のひとつだと思っています。
僕もこれまでのバックナンバーももちろんすべて読んでいますが、今回、お声掛けいただき、しかもあの佐々木俊尚さんと対談の機会を持たせていただいて本当に光栄でした。
ほかの特集記事も埋め草のまったくないとにかく充実した内容です!
僕の参加したゼロ年代ドキュメンタリー特集は資料や読み物としても面白く、拙著『イメージの進行形』の問題関心からも参照することの多い内容になっています。
よろしくお願いします。

週刊金曜日』の書評ですが、来週の号では、青崎有吾の『水族館の殺人』(東京創元社)の書評を書いています。

水族館の殺人

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こちらもよろしくお願いします。