『イメージの進行形』刊行記念選書フェア第2弾開催@東京堂書店神田神保町店3階


渡邉大輔です。
リブロ池袋本店さまに続き、4月に佐々木敦さんとのトークセッションを開催していただいた、東京堂書店神田神保町店さまにて、拙著『イメージの進行形』(人文書院)の刊行記念選書フェアを開催していただいております。
フェアにご協力いただきました『図書新聞』さま、そして、東京堂書店さまには深く感謝申し上げます。どうもありがとうございました!

…というわけで、リブロのフェアに続き、ここで店頭にある僕の選書コメントを掲載しておきます。一部、リブロの選書と被っている本もありますが、ご了承ください。

東京堂書店『イメージの進行形』選書フェアリスト

■映画・映像系
藤木TDC『アダルトビデオ革命史』(幻冬舎新書

アダルトビデオ革命史 (幻冬舎新書)

アダルトビデオ革命史 (幻冬舎新書)

 誕生から30年経ち、ピンク映画のような歴史すら感じさせるAVの歴史を技術から表現の変遷まで辿った名著。イメージフォーラムから岩井俊二(!)まで思わぬ繋がりに驚かされるし、映像圏とも深く関係する内容です。

北野圭介『映像論序説――<デジタル/アナログ>を越えて』(人文書院

映像論序説―“デジタル/アナログ”を越えて

映像論序説―“デジタル/アナログ”を越えて

 デジタル時代の映画・映像について、現代思想から情報理論、メディア研究、分析哲学など膨大な理論的知見を駆使して考察した本。ソーシャル化する映画文化を理論化するにあたって、本書の知的膂力には圧倒されました。

那覇潤『帝国の残影――兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版)

帝国の残影 ―兵士・小津安二郎の昭和史

帝国の残影 ―兵士・小津安二郎の昭和史

 著者のベストセラー『中国化する日本』の「映画史編」ともいうべき、小津安二郎の作品群に「中国的なもの」を読み込む快著。「中国化」=グローバル化は映像圏的環境とも通じています。小津論としても面白いです。

上田学『日本映画草創期の興行と観客――東京と京都を中心に』(早稲田大学出版部)

日本映画草創期の興行と観客 ― 東京と京都を中心に

日本映画草創期の興行と観客 ― 東京と京都を中心に

 これまで映画研究でまったくといってよいほど論じられなかった黎明期の日本映画の状況を論じた本。拙著でも取り上げた汽車活動写真館をはじめ、日清戦争や歌舞伎との関わりなど、あまりに豊穣な初期日本映画の姿に驚くはず。

三浦哲哉『サスペンス映画史』(みすず書房

サスペンス映画史

サスペンス映画史

 「ポスト蓮實の映画批評」の方向を模索した労作。すべてがサスペンスフルであらざるをえない「3・11」以後の文化状況のなかで、運動感覚を極限まで模倣することで読者に映画的快楽を「体感」させる稀有な成果です。

赤上裕幸『ポスト活字の考古学――「活映」のメディア史1911-1958』(柏書房

ポスト活字の考古学―「活映」のメディア史1911‐1958

ポスト活字の考古学―「活映」のメディア史1911‐1958

 戦前の日本映画界の辺境に起こった「活映」運動(ポスト活字メディアとして映画を捉える教育運動)を考察する労作。実は僕の博論の主題と重なるのですが、従来型の映画史のオルタナティヴを志向する姿勢は拙著とも通じます。

■思想・情報系
ジル・ドゥルーズ『襞――ライプニッツバロック』(河出書房新社

襞―ライプニッツとバロック

襞―ライプニッツとバロック

 ドゥルーズの考える「襞」とは、外部のないのっぺりとした平面に刻まれていく「可塑的」な力能のこと。本書が示す襞のイメージは、「映画的」なコンテンツが絶えず生成変化していくCGM的環境ときわめて類比的です。

北原糸子『磐梯山噴火――災異から災害の科学へ』(吉川弘文館

 近代日本の視覚メディア文化の再編を迫った、近代日本最初の大規模自然災害「磐梯山噴火」を扱った本。拙著は「3・11」以降の映像文化の再編を扱っていますが、そこには奇しくも二つの「フクシマ」があったわけです。

ニクラス・ルーマン『社会の芸術』(法政大学出版局

 ゼロ年代現代思想にも大きな影響を与えるルーマンのシステム論を映画批評に援用するとどうなるかとうのが僕の本の狙いの一つでもありました。このルーマン唯一の芸術論はニコ動時代の映像論を考える時に示唆的です。

濱野智史アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版)

アーキテクチャの生態系

アーキテクチャの生態系

 拙著でもおおいに参照した現代のソーシャル化を考える時の最重要文献。ユーザ間の「擬似同期性」を指摘したニコ動論は著名ですが、ケータイ小説論はスティグレール思想とも共通するなど、いろいろな読み方ができます。

井手口彰典『ネットワーク・ミュージッキング――「参照の時代」の音楽文化』(勁草書房

ネットワーク・ミュージッキング―「参照の時代」の音楽文化 (双書音楽文化の現在)

ネットワーク・ミュージッキング―「参照の時代」の音楽文化 (双書音楽文化の現在)

 CD以降、現代のiPodや最近話題のSpontifyにいたる音楽文化のデジタル化・ネットワーク化の問題を考察した本。ジャンルは異なれど、拙著と問題意識が通底しています。ソーシャル化の現状の見通しをよくするでしょう。

限界研『社会は存在しない――セカイ系文化論』(南雲堂)

社会は存在しない

社会は存在しない

 「セカイ系」を主題に編まれた評論集。僕はゼロ年代セカイ系的な想像力と現代日本映画の関係を論じた長編評論を寄稿していますが、この論文で初めて「映像圏」というコンセプトを出しました。拙著と併読すると面白いかも。

佐々木友輔編『floating view――郊外からうまれるアート』(トポフィル)

floating view 郊外からうまれるアート

floating view 郊外からうまれるアート

 2011年に「郊外とアート」をテーマに開催され、僕もアーティスト(!)として参加し、しかも3・11のために中止になった美術展の記録集。「映像圏と郊外/アート」の関係を論じた拙稿も収録されています。

鈴木健なめらかな社会とその敵――PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論』(勁草書房

なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵

 「なめらか」(スケールフリー)という視点から、社会制度を生命システムの進化と延長上に捉え、根源的な刷新を目論む壮大な本。「ソーシャル化」のインパクトに注目する点をはじめ、問題意識が重なります。

藤田直哉『虚構内存在――筒井康隆と<新しい≪生≫の次元>』(作品社)

虚構内存在――筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉

虚構内存在――筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉

 情報と虚構との共存が自明のものになり、世界が「SF化」した現代における実存や倫理のゆくえを問う、新世代のSF評論=社会思想の書。虚実皮膜のあわいを漂う「映像圏的」環境との共通性と差異を考えさせられます。

中沢新一國分功一郎『哲学の自然』(太田出版

哲学の自然 (atプラス叢書03)

哲学の自然 (atプラス叢書03)

 拙著の刊行後にプレソクラティックの哲学に「3・11後」を見据えるこの対談集を読んだのですが、非常に示唆を受けました。映像圏というコンセプトは現代における「イメージの自然哲学」と捉えられるかもしれません。

アンディ・クラーク『現れる存在――脳と身体と世界の再統合』(NTT出版)

現れる存在―脳と身体と世界の再統合

現れる存在―脳と身体と世界の再統合

 ひとの意識や知覚が脳の神経的演算のみによって生まれるのではなく、身体と外部環境との「コミュニケーション」(相互作用)によって現れることを説いた身体的認知科学の古典。「創発」モデルの恰好の解説書。