連載「イメージの進行形」最終回〔前篇〕@Wasebun on Web


渡邉大輔です。
ついさきほど、前回、告知をした日本大学藝術学部江古田校舎の入江悠監督の特別講座の打ち上げから帰宅しました。
会場には、急遽、最近、世界的評価も獲得した若手映画俳優のSさんはじめ、多数の来場者やマスコミの方も来て下さり、イベントも盛況のうちに終わりました。
みなさま、どうもありがとうございました!

さて、今年もあと残りわずかとなりましたが、原稿の告知です。
早稲田文学ウェブサイトでやらせていただいている映画/映像文化論の長篇連載「イメージの進行形――映像環境はどこへ向かうか」の第6回が更新されました。

・連載「イメージの進行形/第6回 映像圏の「公共性」へ――「災後」社会の映画/映像論」〔前篇〕(Wasebun on Web)⇒早稲田文学編集室 - WB/早稲田文学

そして、この連載、2010年7月から不定期ですでに1年半にわたって、やらせていただいているのですが、ついに、最終回となります。
現代映画から初期映画、ニコ動やTwitterなどのソーシャルメディアからディジタルゲーム、AR、そして、フィルム・ノワールなどの古典まで、現代思想から映画理論・情報社会論・社会哲学・サブカルチャー評論……など幅広い領域を縦横に横断しながら、「映像圏」という現代映像文化のひとつの側面を描き上げようと試みてきた本連載ですが、今回でいちおうラストです。
…とはいえ、これもいつもながらのことですが、気合いが入りまくってしまい、最終回の原稿をなんと、100枚近く書いてしまいました。そこで、最終回といいながら、前・中・後篇の、計3回を年末から2012年年明けにわたって公開する、という無駄にw壮大な展開になってまいりました(笑)。よろしくお願いします。
さて、そんな最終回のテーマは、ズバリ、現代における映像の「公共性」について。そして、「ポスト3・11」の映像論とはなにか?です。
編集部窪木さんのコメントも掲載しておきます。

一年半にわたって続いたこの連載も、最終回を迎えます。
 その間には、ニコニコ動画ツイッターの普及と盛り上がりがあり、他方で社会的な事件としては、尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件、アラブの春、そして3・11東日本大震災などがあり、ネットワーク上を大量の画像・動画が流通し、これまでにないインパクトを与えつづけました。その意味で、一連の流れと並走して、ネットワーク上の動画の効果と美学を分析してきたこの連載は、とても重要な転換点を記していると言えるでしょう。
 そこで、最終回のテーマは「映像圏の公共性」。
 上記の出来事を思い起こせばわかる通り、この数年で、インターネット登場以降に変わりつづけてきた「公」のあり方がさらにドラスティックな変容を遂げた印象があります。それでは、映像(圏)から公共性をどのように見定めることができるのか? 具体的には、いま話題のVPF問題から考えていきます。
 VPF(Virtual Print Fee)とは、近年急速に拡大している「ディジタルシネマ」の映画館への普及と配給・上映をより円滑に行うために、アメリカの映画産業で考え出された新しい映画配給・興行の枠組みです。詳しくは本論に記されていますが、これからの映画の製作・消費のあり方を大きく変えていくような枠組みです。そこにどのような現在と未来が見えるのか?
 3度に分けてお送りする最終回の前篇では、この問題を詳しく論じます。扱う映像作品は、富田克也監督「国道20号線」「サウダーヂ」です。
中篇・後篇は、2012年1月上旬・下旬に公開予定。

今回、その取っ掛かりとして取り上げたのは、先月の東京フィルメックスのシンポジウム以来、大きな注目を集めつつある、例の「VPF」をめぐるディジタル・シネマの問題。VPF問題が喚起する映画/映像文化の新しい公共性の問題を、映像圏的に考えます。
そして、最後に取り上げるのは、今年、『サウダーヂ』が国内映画ベストワンという評価も高い、あの富田克也作品。
ということで、もしよろしければ、年明けまで、もう少しだけ、おつきあいください。