連載「イメージの進行形」第5回@Wasebun on Web


渡邉大輔です。ブログではご無沙汰しています。
毎年のように、いろいろとドタバタとしているうちに(と言ってもほとんどPCに向かって作業をしていたのだけど)、夏は過ぎ去って行きました。もう少しで後期授業も始まるし、また違う意味で気を引き締めねばなりません。

さて、一ヶ月以上ぶりに仕事の告知です。
またまた間が空いてしまいましたが、早稲田文学ウェブサイトの連載評論「イメージの進行形」の第5回が更新されています。

・連載「イメージの進行形/第5回 フィルム・ノワールの現代性」(wasebun on Web)⇒早稲田文学編集室 - WB/早稲田文学
以下は、編集部窪木さんからの紹介文です。

渡邉大輔〈イメージの進行形〉第5回「フィルム・ノワールの現代性」を公開!
 前々回は、今ぼくたちが観ている物語映画のフォーマットをつくったといわれる古典的ハリウッド映画(1917-1960年)と、それ以前に製作された初期映画(1894-1907年)について見てきました。
 そこで今回は、古典的ハリウッド映画の隆盛と崩壊の傍らで製作され、現代につながるひとつの流れとなった犯罪メロドラマの作品群、すなわちフィルム・ノワールを扱います。
 フィルム・ノワールは、その多くが、レイモンド・チャンドラーなどの同時代のハードボイルド探偵小説を原作としています。タフな探偵である主人公が、蠱惑的なファム・ファタール(運命の女)に翻弄される物語。チャンドラーの小説(あるいはずっと後につくられた村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』)を思い浮かべてもらえればわかるとおり、ハードボイルド小説は探偵の一人称を採用しています。それらを原作としたフィルム・ノワールも当然、一人称=主観ショットを特徴のひとつとしています。
 それが、現代へとどのようにつながるのか? 本篇で確かめてください!
(この連載では、言及される映画を観たことがない人でも楽しめるよう、各種動画へのリンクを貼っています。作品名をクリックしてみてください。)

早稲田文学』は同時期に、本誌4号も発売されました。まただいぶ間が空いてしまい、もはや誰が読んでいるのか…と我ながら半ば虚しくなる(笑)ところもないではないのだけど、ともあれ、今回は、またまた大きく話題を変えてなんと、フィルム・ノワール論です。
フィルム・ノワールに関しては、最近も『LAノワール』がちょっと評判になっていたり何かと話題だと思うのですが、僕も以前から気にはなっていて、ぼんやりと何か書きたいなあとは思っていました。しかし、それは映像圏論とはまた別の文脈で思っていたもので、今回の原稿のように、映像圏論と絡める形で書くというのはまったく想定外でした。その意味で僕にとっても新鮮な原稿になりましたし、ここまで映像圏の議論を追ってきていただいた読者には、一転して、いわゆるけっこうオーソドックスな古典的ハリウッド映画の文脈と繋げて語ることで、わりとわかりやすく、かつユニークなパースペクティヴを与えることができているのではないでしょうか。ともかく、自分でも、この連載でまさかヒッチコックやウェルズの名前を出すことになるとは思いもよりませんでした(笑)。
あと、今回の原稿のポイントと言えば、以前、予告しておいたように、この連載では、初めてと言ってよいほど、けっこう本格的に作品分析に比重を置いています。具体的には、オーソン・ウェルズの『上海から来た女』や『黒い罠』、ジョン・フォード、ジョゼフ・H・リュイス『拳銃魔』など。なので、僕の連載で、いわゆる「ゼロ年代批評」のように、「構造分析ばかりで作品論がない」という不満を持っていたひとはこれで少しは納得されるのではないかと思います。またまた70枚近く(!)のヴォリュームになってしまい、読者には負担の多い原稿ですが…。
ちなみに、今回の論文で取り上げた主な文献・作品名は以下の通り。――

文献:ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』『知覚の宙吊り』、パノフスキー『<象徴形式>としての遠近法』、ジョン・ロック『人間知性論』、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」、ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』、宇野常寛『リトル・ピープルの時代』、中村秀之『映像/言説の文化社会学』、吉田広明『B級ノワール論』、ロバート・スクラー『アメリカ映画の文化史』、北野圭介『ハリウッド100年史講義』、笠井潔『探偵小説と叙述トリック』、クリス・フジワラ『Jacques Tourneur』、葛生賢「ジャック・ターナーと私たち」
作品:J・J・エイブラムズSUPER8』、ヒッチコック『白い恐怖』、フリッツ・ラング飾窓の女』『復讐は俺に任せろ』、オットー・プレミンジャーローラ殺人事件』、ジャック・ターナー過去を逃れて』『豹男』『キャット・ピープル』、オーソン・ウェルズ市民ケーン』『上海から来た女』『黒い罠』、ロバート・モンゴメリー『湖中の女』、ジョン・フォード『リオ・グランデの砦』『騎兵隊』『長い灰色の線』『リバティ・バランスを射った男』、ジョゼフ・H・リュイス『拳銃魔』『ビッグ・コンボ』、岩井俊二花とアリス』、ジョージ・A・ロメロ『ダイアリー・オブ・ザ・デッド

また、編集部コメントにもある通り、今回も原稿内の参照・引用文献、及び映像作品にAmazonYou Tubeへのリンクがついているのですが、なんと、30近い映像作品(フィルム)のすべてにリンクを貼ってくださっています!これすごい。批評で言及した映像作品や映画の動画がその場で観られるというのは、映画批評の新たな局面を拓きそうですよね。しかもそれがウェブ上にアップされているという事実もすごいし。まさに映像圏でしょう。こういう事実をコンスタティヴかつパフォーマティヴに映画批評なり映像評論はもっと掬い取ったほうがいいですよ、マジで。それが僕の議論の趣旨でもあるわけですが。とりあえず、そんな感じです。
なかなか定期的な更新が儘なりませんが、また近いうちに次回の原稿をアップできるように善処します。
というわけで、今回は、ぜひ本誌ともども併せて読んでいただければうれしいです。