連載「イメージの進行形」第3回@Wasebun on Web&震災についての最近の所見


渡邉です。一ヶ月以上ぶりの更新です。
今日は、今年から新たに始まる日本映画史の共同研究プロジェクトの研究会で映画専門大学院大学へ。衣笠貞之助監督の戦前の前衛映画『十字路』(1928年)のパリ公開時のきわめて珍しい映画評を発見された中山信子先生の発表を聴きました。浩瀚な大著『戦時日中映画交渉史』で先月、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されたアン・二さんなどにもご挨拶しました。しかし、なかなかタイトなスケジュールで来年3月の最終報告会に自分の成果を発表できるのか、なんとも心許ない…。あさってには、来月の学会発表の概要締め切りだし。今年は順調に行けば、共著も2冊ほど出るし、研究と批評と大学講師、今年はこの3つを回していくのに、頭の切り替えが大変そうです。
さて、早稲田文学ウェブサイトの連載評論「イメージの進行形」の第3回を更新しました。

・連載「イメージの進行形第3回/「映像圏」の考古学」(Wasebun on Web)
http://www.bungaku.net/wasebun/read/index.html

編集部の窪木さんが、実にいい紹介文を書いてくださいました。蓮實さんと川上さんの対談と併せてお読みください。
今回、登場する固有名は、『ハリウッド映画史講義』、『不過視なものの世界』、『ゴダール・ソシアリスム』、『ヒア アフター』、『トスカーナの贋作』、トム・ガニング、ミリアム・ハンセン、『ラ・シオタ駅への列車の到着』、権田保之助、活動弁士、吉田智恵男、汽車活動写真、連鎖劇、『興行師たちの映画史』、テーマパーク、シネマティック・ゲーム、AR、スマイレージ、……などなど。

今回は、窪木さんの紹介にもある通り、映像圏的環境をおよそ100年前の「初期映画」と呼ばれていた時期の映画史に類比づけるという試みを行っています。いわば映像圏の「歴史化」ですね。他の映画評論や映画論ではなかなか読めない、かなりハードコアで面白い論文になっていると思いますので、ぜひ。また、僕の裏コンセプトとしては、蓮實重彦氏の映画論から始まって、加藤幹郎東浩紀、岩本憲児、柳下毅一郎、権田保之助、北田暁大田中純一郎、小松弘、藤田直哉……など、通常はバラバラに語られ、絶対にこれまで同居したことのないような古今の映画(映像)知識人の言説を、バーッとひとつのパースペクティヴのもとに並べてみようという意図もありました。その意味でも、なかなか見ない文章になっているのではないでしょうか。
遅々として進まないこの連載も、いよいよ後半戦。次回は、よりラディカルな議論になるかもしれません(?)。

さて、先月の東日本大震災から一ヶ月が経ちましたが、僕もまだまだ身辺が落ち着きません。
震災以降、ただでさえつぶやいていなかったtwitterfacebookも沈黙状態で、どんどんフォロワーがリムっている(笑)。
とはいえ、そんなのどうでもいいというか、僕に言わせれば、こんな状態で、ろくにつぶやく気も起きないというのが率直なところ。単なる「デマ拡散装置」と化している知識人のtwitterのアカウントもたくさんありますが、いつもはえらそうにしている言論人もお里が知れるというものです。他方、テレビをつければ、醜悪な芸能人のCMがだだ流れしていますが、あれには本当に滅入る。いま重要なのは、「ひとつになる」よりも、多様性や寛容さを確保することだと思います。
少なくとも、僕は、批評家として、自分の無力さを噛みしめながら、粛々といい原稿を書いていくしかない、いまはそう思っています。
そのうえで、(この先まだまだ長いのだから)一時の躁状態でなく、何かできることがあれば、できるだけ「慎ましく」やっていきたい。
とにかく、これで2010年代(もしかしたら、21世紀前半)は確実に「震災後」の文化世界を生きることになるので、私たち批評の書き手は、そうした世界についての道筋を、ラディカルに、かつ慎ましく思考していく以外にないでしょう。僕は、それを映像文化論の形で、基本的にはやっていきたい。ワセブンの連載は、図らずもその一歩になるような気がしています。
ということで、当分は、ブログもtwitterも、いままでに増して告知機能に特化することになるかと思いますが、よろしければお付き合いください。では、また。