2010年代映画論@『ユリイカ』&ギィ・ブルダン論@限界研公式ブログ
渡邉です。
今日は早稲田文学の窪木さんと池袋のエクセルシオールで打ち合わせ+お茶してました。
あ、阿部和重さん、谷崎潤一郎賞受賞、おめでとうございます!前作『シンセミア』(伊藤整文学賞、毎日出版文化賞)に続いて、三部作連続受賞ですね。これは、最後の作品までトリプル受賞を果たしそうな雰囲気。ファンとしては期待に胸高鳴ります*1。
実は、僕も最近、5、60枚の阿部和重論を書きました。遠からぬ時期に某所で発表予定。お楽しみに。
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さて、仕事の告知です。
一つは、今日発売の『ユリイカ』9月号の特集「10年代の日本文化のゆくえ」で、15枚ほどの論考を寄稿しました。
・論考「「映画」がsur-viveするためのディケイド」(『ユリイカ』9月号、青土社)
ユリイカ2010年9月号 特集=10年代の日本文化のゆくえ ポストゼロ年代のサバイバル
- 作者: 東 浩紀,福嶋 亮大,濱野 智史,黒瀬 陽平,荻上 チキ,渋谷 慶一郎,川上 未映子,岡田 利規,藤村 龍至
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2010/08/27
- メディア: ムック
- 購入: 10人 クリック: 222回
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僕の力量の問題もありますが、15枚で10年代の映画文化について論じるというのはなかなか難しかったです。また、ここで書いたことの詳細は、いま早稲田文学ウェブサイトでやっている連載「イメージの進行形」第1回、とそれ以降の原稿で敷衍していく予定なので、僕の現状認識と展望をコンパクトに知りたい方には、『ユリイカ』のこのエッセイをご笑覧いただくといいかと思います。
ただ、やはり驚いたのは、一緒に載っている阿部嘉昭氏の論考。僕も数年前からずっと論じている擬似ドキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)についての原稿です。阿部さんが僕の仕事を知ってらっしゃるかどうかはわかりませんが、タイトルも含めて、かなり僕と問題意識が被っている気がしました。
僕が知らない作品もいろいろ論じていて、総じて面白い原稿です。ぜひ阿部さんとは、いつかいろいろお話してみたいと思いました。また、阿部さんの論考に興味を持たれた方は、ぜひ僕の一連の論考も読んでいただけると、有り難いと思います。
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あと、これは旧稿ですが、先日、限界研公式ブログに06年に書いたギィ・ブルダンについてのエッセイがアップされました。こちら⇒限界小説研究会BLOG
当時、東京都写真美術館でやっていた、ブルダン展のレビューです。
冒頭にも加筆しましたが、いま読むと、筆者としては恥ずかしいくらいに、当時の「ゼロ年代の批評」のスキームにどっぷり浸かっているような文章ですがww、まぁ、当時はライトノベル・ブーム、萌えブーム真っ只中だったわけです。
そういうリアリティや問題意識の中で書いたテクストなので、資料的な感じでお読みいただければ幸いです。
ではでは、また。
*1:例えば、僕は昔、映写技師のバイトしてましたが、それも『インディヴィジュアル・プロジェクション』を読んだからww