連載「イメージの進行形――映像環境はどこに向かうか」@Wesebun on Webスタート


どうも、渡邉です。ご無沙汰しております。ブログ、絶賛放置中で申し訳ないです。6月中旬に、ツイッターをやり始めて以来、大方の傾向通りw、いまはすっかりそちらがメインになってしまいました。…遅ればせながら始めたわけですが、いやあ、ツイッター、すごいですね。すっかりハマってしまいましたwwww
むろん、コミュニケーション作法としては個人的には激しく抵抗もあるし、いろいろ細かな問題もあると思うのですが、ともかく、世界認識ががらっと変わったことは間違いない。こんなことは久しぶりでした。ツイッターに関しては、自分なりに一度ちゃんと考えてみようと思っています。
とにもかくにも、常日頃はこちらのほうでいろいろくだらないことをつぶやいていますので、ご覧になってみてください(よければ、フォローもお願いしますw)。⇒渡邉大輔 (@diesuke_w) | Twitter

さて、本題です。こちらでは、すっかり告知が遅くなってしまいましたが、実は先月から、春に『U30』にも論文を寄稿した早稲田文学のウェブサイトで、隔月連載を始めました。
タイトルは、「イメージの進行形――映像環境はどこへ向かうか」。
第1回は、「擬似ドキュメンタリー、ニコニコ動画の映像美学」。
このまま、とりあえず来年まで4〜5回短期連載の予定です。
⇒こちら早稲田文学編集室 - WB/早稲田文学
内容は、といえば、これまで『社会は存在しない』(南雲堂)のゼロ年代日本映画論や『U30』の松本人志(『しんぼる』)論、そして、『ユリイカ』のスピルバーグタランティーノポン・ジュノ特集などの各論考で断片的に書き継いできた、僕なりの現代映像文化論、現代映画論の総論的評論という感じです。
すでに感想もちらほらと寄せられ始めていますが、いよいよ2010年代ということでw、いままでにはあまり一般には知られていない文脈をガンガン接続しつつ、ちょっとこれまでにはない映像文化論/現代映画史をお見せできると思うので期待していてください*1
もちろん、見るひとが見ればいろいろ穴は見つかるでしょうが、それでも「従来型」の映画批評・アカデミックな映画史研究の蓄積と、文芸批評やサブカルチャー評論も含めた「ゼロ年代の批評」のスキームや社会関係資本といった複合的なレイヤーを一手に扱えるのはいまのところ僕しかいないといっていい。ならば、そうしたマイナーな視点から、多少荒削りでも「アナーキーでありながら同時にオープンネスを伴った」言説も生み出しうるはずです。
とにかく、僕は僕なりに現在の状況を変えたいと思っているし、またそれなりに勝算もある。今回の連載は、その最初の突破口になるものにしたいと思っています。

というわけで、いろいろと続けて言いたいこともあるのですが、下半期はとにかく忙しく、ツイッター以外はここでは仕事の告知くらいしかできなさそうなのですが(すみません)、引き続き付き合って戴ければうれしいです。

ではでは、また。

*1:実は、先日もオフレコでさる高名な批評家の方から短くも、貴重なコメントをいただきました。