座談会「映像・虚構・身体――現代映画の言語ゲーム再考(第一部)」@限界研公式ブログ


渡邉です。

SF・文芸評論家の藤田直哉さんのブログでも告知が出ましたが、限界小説研究会公式ブログにて、僕と藤田くん、そしてSF評論家の海老原豊さん、そして、映像作家の佐々木友輔さんによるロング座談会の記事がアップされました。

・座談会「映像・虚構・身体――現代映画の言語ゲーム再考」[第一部 リアリティの慣習/慣習のリアリティ](限界小説研究会公式ブログ)限界小説研究会BLOG

これは藤田くんの書いてくれている冒頭の「はじめに」にもあるように、去る3月に都内某所で4時間余りにわたって収録した座談の記録で、これから3週にわたって分載していくそうです。
この座談会は、記事をお読みになっていただければ分かるように、去年から今年にかけて僕が発表した一連の映画論、とりわけ早稲田文学に書いた「現代映画の言語ゲーム」シリーズ(?)の内容が端緒となって、藤田くんが企画してくださり、また拙論に反応してくださった海老原さん、そして実作者の立場から佐々木さんが参加して実現した座談会です。
ご覧の通り、長大な記事になってしまって、僕としてはやはりというか、かつての『波状言論』の、あの堰を切ったようなロング座談会を思い出してしまうのですが(笑)、とにもかくにも、読み応えたっぷりの座談になっていると思います。また、――全体的な感想は全体のアップが終わってから改めて述べようと思いますが、僕の現代映画論のコンパクトな要約と、それに対する真摯な反応・反論にもなっていると思いますので、ぜひご覧いただければと思います。議論はこれから映画批評の枠を越え、現代のテクストをめぐる文化的条件や、作家の倫理的課題まで、どんどんヒートアップしていくので、どうぞお楽しみにw!
それにしても、こういう反応や批判が、映画批評内部からいまだに現れないのは少し寂しい気がします。しかし、ポジティヴに考えれば、僕の「映像圏」の議論というのはある意味で「映画批評」の「外部」を(実作も含めて)積極的に請い入れていくという話でもあるので、このお三方のような同世代の明敏な知性との有機的な批評的ケミストリーは非常にうれしい経験でした。
今回、このような熱い座談会を企画し、また異分野から参加してくださった藤田くん、海老原さん、佐々木さんには改めて深く感謝申し上げる次第です。
また、膨大な記録の文字起こしを担当してくださった工藤伸一氏にも厚く御礼申し上げます。

また、この座談会の内容は、先日告知した来月の佐々木くんの『夢ばかり、眠りはない』のトークイベントにも繋がる話をしているので、イベントに興味を持たれた方は、ぜひ読んでいただければと思います。